トップページ > 薬の休憩室 > 薬の休憩室(第22回):~軍刀利神社のミステリー (Y.M) 上野原インターチェンジを出て15分ぐらいで「軍刀利(グンダリ)神社」があります。 軍刀利神社のある棡原(ゆずりはら)は日本でも有数の長寿村でした。昔は「軍荼利夜叉明王社」と称し、明治の神仏分離令で「軍刀利神社」に改称しました。古神道と真言密教に通じた修験者によって勧請されたといわれています。 拝殿の横には巨大な剣が立っており、この剣は、日本武尊が東征の帰りに三国山の山頂で草薙の剣を神実(かむぎね)として祀ったことに由来しているそうです。弐の鳥居のあたりは左右の小川の生気と参道から来る山の霊気とが融合するパワースポットです。祭神は「日本武尊」で、ご利益は、縁結び、子宝、安産、厄除け、招福、延命長寿です。 大桂の奥の院からさらに登ると軍刀利神社の山宮があります。佐野川の石楯尾神社の前社が蚕山山頂にあり、三国山山頂に本宮があり、「軍荼利の宮」といわれていました。 石楯尾神社( いわたておじんじゃ)とは、延長5年(927年)の『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に記載されている相模国の延喜式内社十三社の内の一社で、鎮座地については「高座郡石楯尾神社」とあります。この事から佐野川の石楯尾神社が延喜式内社ではないかと思います。 草薙の剣が軍刀利神社に楯が岩楯尾神社に別々に祀られているのは謎です。剣と楯は対に為るものなので一緒に祀られるのが当たり前です。 壱の鳥居 赤くさびた鳥居 弐の鳥居 富士山からの龍脈と秩父山系からの龍脈が合流するあたりにある 由緒沿革 岩楯尾神社と同じような中国故事にちなむ彫刻 草薙の剣を神実(かむぎね)として祀ったことに由来 軍刀利神社本堂 1月のお天気は快晴でしたが、参道の奥の社務所の近くから雪がつもっていて、凍り付いた坂道は滑って登れません。4WD車も滑って駐車場に入るのがやっとです。今回は、奥の宮に行くのは諦めて、今回7月に再チャレンジしました。 参の鳥居 樹齢約500年の大桂 息が切れてきたので、奥の宮でおとなしく撤退しておきました。また来る機会があれば、1時間歩いて山宮まで行ってみたいです。 奥の宮と大桂